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平松台遺跡の発掘調査~金井塚良一写真資料から

[2021年11月19日]

ID:4741

平松台遺跡とは

 平松台遺跡は、大字小川・下里地内に所在する、縄文時代、古墳時代、奈良・平安時代の遺跡です。小川町立東中学校の建設に伴い、1968(昭和43)年に発掘調査が行われました。調査は埼玉県遺跡調査会が主体となり、当時県立松山高等学校教諭だった故金井塚良一氏を中心とした平松台遺跡発掘調査団が編成され、東洋大学考古学研究会の協力を得て実施されました。

 翌年には調査概報が刊行され、当時としては埼玉県内でも大規模の発掘調査であったことから、その成果が注目されました。例えば、1970(昭和45)年に故水野正好氏(後に奈良大学学長)がこの遺跡の集落構造を分析して集落論を展開しています。縄文時代前期や中期の土器が多く出土し、土器論においても資料が引用されることが多くあります。1999(平成11)年に刊行された『小川町の歴史資料編1 考古』で遺物等の再整理が行われ、現存資料の全貌がほぼ明らかにされました。それによると、縄文時代前期関山期4軒・黒浜期15軒・諸磯b期3軒、中期勝坂期3軒・加曽利E期6軒の竪穴住居跡が検出されています。

 主な遺物は埼玉県立歴史資料館(現嵐山史跡の博物館)に寄託され、現在は東中学校に保管されていますが、調査時の写真や測量図の大半は、整理作業を担当した東洋大学の校地移転や大学紛争による混乱で散逸したとされ現存していません。しかし、写真原板の一部については金井塚氏が保管しており、晩年に記録保存・活用のため小川町教育委員会に寄贈されました。

 ここに掲載する写真は、文化財デジタルアーカイブ構築事業の一環としてデジタル化した金井塚氏寄贈写真の一部で、当時の様子などが窺える貴重な資料です。

平松台遺跡位置図
 『小川町の歴史資料編1 考古』より。

平松台遺跡全測図
 『小川町の歴史資料編1 考古』より。

平松台遺跡空中写真
 東上空から撮影。1968年4月。

遺跡遠景 東方より
 東側の中台の尾根から撮影。

住居跡の分布状況
 7号住居跡南側から北方向を撮影。奥の小谷は現在の校舎裏北東側の谷(東谷)。

住居跡の分布状況
 3号住居跡北側から南東方向を撮影。右上に見えるのが中台側の谷。

住居跡の分布状況
 10号住居跡北側から南西方向を撮影。右上に見える立木の辺りが古墳(4号墳)で、今のグラウンド南西隅にあたる。

調査風景
 分かりづらいが遠く官ノ倉山、大霧山方面が見える。

調査風景
 奥にゴルフ場のクラブハウスが見える。

調査風景
 右側の山は仙元山。

調査風景
 奥に見えるのは下里大聖寺のある山稜。

調査風景
 右側に竹編みの手箕が見える。

調査風景
 17号住居跡東側から北方向を撮影。右奥の山は東谷。

調査風景
 6号住居跡北側から南西方向を撮影。調査区周囲には桑畑が広がっていた。

地元中学生の見学
 中央が6号住居跡付近で、北東方向を撮影。校舎造成地をはさんで奥の谷が東谷。

地元中学生の見学
 11号住居跡付近から北東方向を撮影。右奥の山は現在東小川住宅団地となっている。

1号住居跡 黒浜期
 縄文時代前期前半の住居跡。調査は重機による工事が進む中で行われた。東側の中台の谷側斜面が土砂で埋められている。右奥の山は現在は東小川住宅団地となっている。

3号・21号住居跡 黒浜期
 住居跡が重複し、3号住居跡は1号土壙とも重複する。縄文時代前期前半と考えられる。

3号住居跡 黒浜期
 縄文時代前期前半の住居跡。ここからは今の山梨県や長野県で多く出土する釈迦堂Z式土器も出土し、交流があったことがわかる。

3号住居跡遺物出土状況
 口縁部に大型菱形文を施す黒浜式土器の深鉢。

5号住居跡 勝坂期
 縄文時代中期前半の住居跡。

5号住居跡 埋甕炉
 深鉢を埋め込んで炉としている。

6号・34号・35号 諸磯期
 住居跡が重複しているが、ともに縄文時代前期後半の諸磯b期と考えられる。

7号住居跡 黒浜期
 縄文時代前期前半の住居跡。石皿と埋甕は重複する8号土壙に伴うもの。

8号住居跡 8c後半
 須恵器、土師器、石製紡錘車などが出土している。南側は縄文時代前期の住居跡と重複していた。

8号住居跡カマド
 カマドは天井までよく残っていた。右側には貯蔵穴がある。

8号住居跡須恵器出土状況
 カマド右袖前に完形の須恵器坏が重なって出土している。

8号住居跡紡錘車出土状況
 滑石製の紡錘車の錘(はずみ車・紡輪部)。繊維を束ねて糸をよる道具。

9号住居跡 加曽利E期
 縄文時代中期後半の住居跡。石囲いの炉と考えられる。

9号住居跡遺物出土状況
 9号住居跡からは、磨製石斧が比較的多く出土している。

10号住居跡遺物出土状況
 縄文時代の住居跡から出土した凹石(くぼみいし)。木の実を割ったり石器を作るときの台や、火を起こすときに使ったと考えられているが、詳しい用途はわかっていない。

11号住居跡 加曽利E期・12号住居跡 関山~黒浜期・13号住居跡 黒浜期
 11号住居跡は円形で縄文時代中期後半。12号住居は重複して5分の1程度しか残っていないが、前期前半の関山期と黒浜期の土器が同じくらい出土している。その奥の13号住居跡は黒浜期で、大量の土器が出土している。

12号住居跡遺物出土状況
 縄文時代前期前半の関山式土器の深鉢。

13号・30号住居跡 黒浜期
 奥の13号住居跡は縄文時代前期前半で、手前の30号住居跡は半分消失しているが同時期と考えられる。

14号・29号住居跡 黒浜期
 大きく重複し、周溝が深く拡張が見られる方が14号住居跡、下位の床面が29号住居跡。ともに縄文時代前期前半と考えられる。

14号住居跡遺物出土状況
 遺物の出土量は多く、黒浜式の大型菱形文系の土器などが見られた。

17号・19号住居跡 8世紀初頭
 手前が17号住居跡。主柱穴4本の左右にも柱穴が並ぶ。カマドの右には貯蔵穴がある。8世紀初頭の須恵器と土師器が出土した。奥は19号住居跡。

18号・33号住居跡、10号土壙 黒浜期
 大きい方が18号、小さな正方形が33号住居跡。深く掘られた隅丸長方形の穴が10号土壙。ともに縄文時代前期前半と考えられる。

18号住居跡 黒浜期
 18号住居跡は一遺構としては最多の量の土器が出土した。

18号住居跡遺物出土状況
 縄文時代前期前半の黒浜式の大型菱形文や羽状縄文土器が大量に出土している。

18号住居跡遺物出土土器
 ほぼ完形の大型菱形文系深鉢。

18号住居跡 異形石器出土状況
 緑泥石片岩製の異形石器。用途は不明であるが、使用痕がなく軟質で実用品とはみられず、儀礼的なものと推定されている。

19号住居跡カマド 8世紀初頭
 カマドの芯材に緑泥石片岩が用いられている。8世紀初頭の須恵器蓋や甕が出土している。

20号住居跡 関山期
 縄文時代前期前半の住居跡。

20号住居跡遺物出土状況
 縄文時代前期前半の関山式の縄文土器深鉢。

22号住居跡 8世紀前半
 6.6m×6.5mで、この遺跡の奈良・平安時代の住居跡では最大規模。カマドの芯材には片岩が使用されている。8世紀前半の須恵器蓋・坏、土師器坏・甕などが出土している。

22号住居跡 8世紀前半
 カマド右側の隅に土師器甕がまとまって見られた。

22号住居跡カマド
 カマドの袖や燃焼部から煙道にかけて、片岩が使用されていた。

23号住居跡 時期不詳
 縄文時代前期の住居跡の可能性があるが、詳しくは不明。

24号住居跡 関山期
 縄文時代前期前半の住居跡。確認時に既に床面が露出していたが、柱穴が検出された。

25号・15号住居跡 黒浜期
 床面が全て残るのが25号、右側が15号住居跡。ともに縄文時代前期前半と考えられる。

22号住居跡 8世紀前半・26号住居跡 関山期
 縄文時代前期前半の26号住居跡は、8世紀前半の22号住居跡の床下から検出された。

28号住居跡 加曽利E期
 縄文時代中期後半の住居跡。

28号住居跡遺物出土状況
 縄文時代中期後半の加曽利E期後半の土器が見られる。

31号住居跡 勝坂期か・28号住居跡 加曽利E期
 円形に近い28号住居跡と重複して方形の31号住居跡が検出されている。縄文時代中期前半から後半の土器が出土している。

8号・27号・32号住居跡 中期
 8世紀後半の8号住居跡に破壊されるが、27号・32号住居跡が重複して検出されている。床面が一番深くやや扇形を呈するのが32号住居跡、一部のみ残るのが27号住居跡で、ともに縄文時代中期の土器が僅かに出土している。

36号住居跡 時期不詳
 円形の小規模な住居跡で、時期は不明。

1号配石土壙
 凹石が出土している。

1号配石土壙(3号住居内)
 アルバムに3号住居1号配石と注記があるが、1号配石土壙と同一のものかどうかは不明。

8号土壙遺物出土状況
 8号土壙は、7号住居跡を切って検出されたという。石皿は底が抜けている。

8号土壙遺物出土状況
 礫とともに縄文時代前期前半の黒浜式の土器が出土している。

9号配石土壙
 石皿などが出土している。

11号配石土壙円柱状石柱
 石柱の可能性がある礫が出土しているが、詳しくは不明。

17号配石土壙 加曽利E期
 16号住居跡を切って検出された縄文時代中期後半の土壙。

17号配石土壙
 土器や石器が多く出土している。

配石土壙(9号住居内)
 9号住居内で検出された。縄文時代中期の土器が出土している。

立石
 緑泥石片岩製の凹石のようであるが、立った状態で検出されている。

尖頭器形磨製石斧出土状況
 類例が少ない石器。板状の片岩を敲打により成形し、ていねいに研磨している。用途は不明。

調査参加者
 

東方を望む
 下里大聖寺方面を望む。中程に見えるのは東武東上線の線路の土手。現在は下里白根地内から東小川住宅団地へ登る道路ができている。調査概報から。

中台沼
 中台の谷の奥にあるため池。現存するが、沼下は東中学校のテニスコートとなり、沼上は道路が作られ東小川住宅団地が隣接し、当時の面影はない。

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